ロシヤ人と神道研究

 昨年、わたしがオランダのライデン大学で神道の講義をしたとき、ユリヤ・ミハイロワさんというロシヤ婦人が来ていた。日本学の学者で、ソビエトの崩壊によって、ロシヤを出て、ライデン大学の客員教授をしていた人である。彼女は、自由民権の研究から神道に行きついた人で、著書に『本居宣長』があり、『大嘗会弁蒙(だいじょうえべんもう)』をロシヤ語に翻訳していて、わたしの大嘗祭や古代祭祀に関する著書を既に読んでいた。『大嘗会便蒙』とは、近世に大嘗祭を復興したとき、古儀の考証にあたった荷田在満の著述である。

 暮も押し詰まったころに、突然、このロシヤ婦人から電話があった。「いま日本のさる大学に客員教授となって来ています。いろいろ教えてほしいことがあるので会いたい」というので、八坂神社に招いた。さらに資料を見せる必要から伊勢の皇學館大學にも連れて行った。その日は大学院の講義があったが、時間を割いて神道学専攻の院生五、六人と懇談した。

 そのときの話である。彼女の云うのに、「ヨーロッパでは日本研究が盛んです。なぜかというと、日本は経済成長は世界でトップ、先端技術は最も進んでいるし、社会制度も社会主義国以上、それでいて非常に古いものが残っています。それはなぜかを知りたい。」という。雅楽をしている学生が、「雅楽は中国から伝えられたものですが、中国では度重なる革命ごとに、前代のものは根こそぎつぶしてしまいましたが、日本では政治的支配者の交替はあっても革命がなかったから伝統的なものが残っています。」と云った。彼女は、「ロシヤもかつてはトルストイ、ドストイェフスキー、チェーホフらの文学や、また音楽も優れたものがありましたが、革命ですっかり駄目になりました。」と語り、さらに次のようなことを云った。

 「私は今、日本の大学でロシヤ文化と日本文化の比較文化論を講義していますが、日本の 学生は神道のことを知りません。それで私が神道を教えています。私を招いてくれた先 生は近世の儒学を専攻している教授ですが、大嘗祭のことを知りません。『大嘗会便蒙』のことも荷田在滿のことも知りません。だから私が教えています。これ、変ですね」と笑った。私も学生も大笑いしたのだが、実は笑い事で済ませる問題ではない。それというのも、神道といえば戦争の元凶のように思っているのが日本人。これは多分に誤解と偏見によるもので、その上、日本国憲法では国及びその機関は宗教教育をしてはならないとなっているため、公立学校では神道について一切教えていない。日本文化の本質は、神話や神社の祭祀、つまり神道を抜きにしては語れない。神道は日本人の生活文化の基礎であり、日本文化の核心に関わる問題である。そのことに着目して、ロシヤ人学者でさえ研究しているのだが、日本の学生も教授も神道のことを知らないで、ロシヤ婦人に教わっているという。「変ですね」どころではない話であろう。  彼女は今、オーストラリアに行って、そこでも神道を講義しているが、今秋の伊勢神宮の遷宮(二十年一度の宮遷し)には、再び来日するという。神道の神髄であり、日本文化の根元を探るために。ほかにも外国人の日本研究者が遷宮を機に続々とやって来る。日本 人以上に強い関心を持って。  

 (京都新聞・平成5年8月26日掲載)

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