『美しき日本の残像』共感

アレックス・カー氏の『美しき日本の残像 』(新潮社刊)の出版記念会がこのほど宇治の黄蘗山万福寺で開かれた。、煎茶の会に始まって、斎堂(僧侶の食堂)での普茶料理によるパーティ等、いささか意表をつく趣向だったが、古い日本の美を愛する彼にふさわしい雰囲気で一日を楽しめた。わたしはかねてカー氏の文章を 『新潮45』 誌上で読んで、 古い日本の美への礼讚と現代の文明に対する痛烈な批判に共感していたが、その日の趣向に一層の親しみを覚えて感嘆した。彼のことを「平成の小泉八雲」と呼ぶ人もいるが、わたしは現代のフェノロサともブルーノ・タウトとも呼んでもいいと思っている。東洋の美術に造詣深く、ことに日本の古いもの、それも誰も顧みないような襖絵から室町時代の「破墨山水」を甦らせたりする慧眼をもっているからである。

 四国の山奥の平家の落人の集落という祖谷(いや)の廃屋を買って住んでみたり、今は亀岡の天満宮の古い社務所に住んでいて、そこは彼の収集した東洋の美術品の宝庫なっている。美術に対する審美眼は鋭く、今もなお、美術オークションの会でも、日本人の顧みない掛け軸、屏風、拓本、墨絵に掘り出し物を見つけて、彼のコレクションを豊富にさせている。それもただ収集しているのではなくて、それぞれの品を生かして使っているところに特徴がある。

 例えば、彼自身、書をよくし、「書は心の絵なり」といい、自由奔放な筆致で舞うように書くが、孔子の「徳不孤(人間、徳があれば、決して孤独になることはなく、必ずいい友達がよって来る、という意)」という語を好み、泰山の字の拓本のその軸を掛け、その下に明代のテーブルをおき、論語の本を開けておき、その隣に如意の棒をおくという風にそれらすべてのテーマが関連づけられている、という。

 自然を愛し、開発の名の下に失われて行く自然を惜しみ、また伝統的な日本文化を再発見している。都会のまがい物の醜悪な建造物に対する彼の批判は辛辣である。そして、まだいささかは残っている古き良きものを見つけて我々に示してくれる。京都や奈良の社寺にしても通常の観光社寺ではなく、あまり人が訪れなくても、なかなか味わい深い日本的情緒豊かな箇所を案内してくれる。六波羅蜜寺、円通寺、浄瑠璃寺、室生寺、黄檗山万福寺、般若寺等。

 日本人の眼からは、それほどに思わないものが却って世界の貴重な文化遺産であることも多いが、まさにそのことを指摘する大いなるアドバイザーである。青い眼の「変な外人」アレックス・カー氏の「美しき日本の残像」に共感し,急速に失われて行く、古きよき日本の美を惜しみつつ、現代のフェノロサとも、ブルーノ・タウトとも、ラフカディオ・ハーンともいわれるカー氏の健闘をたたえたい。 

                                            (京都新聞・平成5年12月7日掲載)

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