平安建都1200年と祇園祭

 平安建都一二〇〇年の年を迎えた京都であるが、社会は出口の見えない不況に沈滞した空気に包まれている。この空気を吹き飛ばして、社会の活性化を図るには、どうすればよいか。このようなときは「先ずお祭りから」というのが昔からの常道である。祭りはハレの日であり、本来、生命の活性化を果たす役割をもっている。そこには信仰が生きている上、いつの時代にも人々が情熱を燃やして取り組み、護り通してきた伝統がある。例えば祇園祭を見ても、大いなる消費であり、これに費やすエネルギーは莫大なものがあるが、実はそのことによって社会の活性化がもたらされ、その経済における波及効果ははかり知れないものがある。

  周知のように、祇園祭は延暦十三年の(七九四)平安建都から七十五年目の貞観十一年(八六九)疫病の災厄除去を祈ったに始まって以来、応仁の乱で都が焼野原になって中絶したときも、町衆の努力で祇園祭が再興されるにともなって都も復興し、祇園祭が京都を活性化する役割を果たした。まさに京都一二〇〇年の歴史は祇園祭とともにあった。

  しかも、京都の文化は全国各地に伝わって小京都ができ(四十五市町)、祇園祭もまた諸国に伝播して山鉾を範とした曳山、屋台、山笠等を称し、武者人形や、からくり人形で飾り、いわゆる風流(ふりゅう)という形になっている。博多の祇園山笠、小倉の祇園太鼓、関東では、佐原祇園、川越の祇園等、いずれも祇園祭が伝播していったもので、それぞれ地域の伝統芸能としてもてはやされている。

 一方、本家の京都の祇園祭は、かつては七月十七日の前祭(さきまつり)と二十四日の後祭(あとまつり)があり、今も両日の夜に神幸祭、還幸祭があるが、山鉾巡行は昭和四十一年以後、十七日に統合されため、後祭の二十四日は花傘巡行が行われているものの、十七日の山鉾巡行の賑わいには及ぶべくもなく、いかにも寂しいのは残念である。そこで、前祭の山鉾巡行は従来通り行った上、後祭の日である七月二十四日に、全国の祇園祭の類いを集めて巡行しようという計画が進んでいる。その始め国々の矛六十六本を神泉苑に立てた故事に基づき、全国の祇園祭の曳山、山笠、屋台、祇園囃子、祇園太鼓の類いを集めて、祇園祭を一段と盛り上げ建都一二〇〇年を祝おうというものである。

 七月二十三日の夜の前夜祭(宵山)には四条通の祇園石段下から川端までの間に、全国の山笠、曳山、屋台の類い約十数基を立てて、からくり人形や子供歌舞伎を演じ、翌二十四日は、花笠巡行の先導で、全国から集まった山笠、曳山が河原町を北上、御池まで巡行しようというのである。裏千家千宗室お家元らの肝入りで、このほど「全国祇園祭山笠巡行実行委員会(会長 京都市観光協会西村源一会長)」が発足した。

  京都に発生し、全国に及んでいるのが祇園祭であり、その全国祇園祭が一二〇〇年を機会にこぞって上洛して、お祝いをしてくれるというのであるから、誠にありがたいことである。本年の建都一二〇〇年記念行事中の最大の催しとなるることは疑いない。現下の不況を吹き飛ばして、経済の活性化はもとより、京都を甦らせると同時に、地方の伝統芸能をも顕彰し、互いに交流を促進する機縁ともなろう。これも祇園さんのご利益(りやく)と云うことか。是非、成功させたいと思っている。

  (京都新聞・平成6年1月20日掲載)

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