昨日の非と今日の是

 西郷南洲翁の遺訓に

  昨日の非は留むべからず

  今日の是は執るべからず

という言葉がある。前者は、昨日悪かったことをいつまでも留めおいてはならない、改めるに憚ることなかれ、というのであり、後者は、今日よしとすることは、採用してはならない、思いとどまって再考せよ、という意である。 もとより「昨日の非」を改める可きは当然のことだが、それがなかなかできないのが実情。例えば行政改革ひとつにしても、土光臨調以来あれほど喧しく云われながらほとんど改まっていない。食管制度の如きも、五十年前の戦時中の法令が生きたままで空文化していながら改めようとはされない。いったん決めたことは、たとえ「非」とわかっても容易に改めることができないで留めたままである。

 さらに「今日の是」、今よしとされることも、明日はどうなるかわからないのが世の常。極端な例が、かつてエジプトの繁栄をもたらしたナイル河の氾濫を調節するために建設された、アスワン・ハイ・ダムは貯水容量一六三〇億立方米、発電能力年間一〇〇億キロワットという世界最大級のダムである。このダムが完成したあかつきは、大人造湖の水でアラブ連合は一段の工業化を進め、同時に広大な砂漠を潅漑して、一挙に国民所得を倍増できる筈であった。ところがそれが完成した一九七一年一月には、もうそのダムは「世紀の愚挙」と評され始めた。それはナイルの洪水がせき止められた結果、水源地帯の森林が荒廃し、かつて白ナイル・青ナイルから運ばれた沈積土と腐植土が氾濫の後に沃野としたものを、不毛の砂漠と化して、北東アフリカの生態圏は破壊され、エジプトは深刻な事態に陥って、二〇世紀最大の失敗とまで云われることになった。

 わが国でもこれと似たような愚挙は枚挙にいとまない。八郎潟の干拓しかり、宍道湖の淡水化工事しかり、長良川の河口堰問題も果たしてどうなるのか。減反政策もかつては「今日の是」であったかも知れないが、いまや「昨日の非」ではないか。それがいつまでも留められたままであるのは是か非か。

  このように「今日の是」が、明日は「昨日の非」となりかねないことは少なくない。あのバブルの頃に一部の識者が警告していたにもかかわらず、「今日の是」を追い続けて、経済は膨張の果てついに弾けて崩壊し、現在の不況をもたらした。「今日の是」とみえたのは、実は「非」であった。表面の「是」に幻惑されて、真の「今日の是」が見えなかったことによる。しかも、その「非」を指摘されながら、表面の「是」によって明日を計る愚を繰り返し、「昨日の非」を留めたままであるのは、一段と愚かというべきか。

 政治においても、事業においても、はたまたわれわれ個人の日常生活においても、決断を要する事態に直面して、「今日の是」に明日を予測することは難しい。ならば南洲の遺訓を肝に銘じつつ、真の「今日の是」を求めて、唯々、今日の只今を大切に、精一杯充実した日々を生きるにしくはない。                                    

        (京都新聞・平成6年5月15日掲載)

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