即位式と大嘗祭(2)

 イギリス国王の戴冠式やアメリカ合衆国の大統領就任式が宗教儀礼を以て行われていながら、政教分離の対象となっていないのと同様に、大嘗祭に於ける宗教的意義は、特定の教団とかかわるものでも、憲法第二十条にいう宗教的活動にあたるものでもなく、民間土俗のニイナメ儀礼にも通じる、日本の文化伝統を支える基盤であった。少なくとも民族のアイデンティティを確認することのできる最高の儀礼であることは間違いない。大嘗祭が国の大典として行われることを期待する所以である。  しかるに現行日本国憲法の下では、陛下が御親らお務めになっている毎年の新嘗祭をはじめ年間数十度の祭儀も、陛下お一人の私事として扱われている。陛下の行われる宮中祭儀はひとえに国安かれと祈られるのであって、陛下お一人の私事などというものではない。それは御歴代を通じて変わることのない皇室としてもっとも大切な御伝統である。しかし日本国憲法下ではそれらはすべて内廷の私事となっている。  日本国憲法には第七条に、天皇の行われる「国事行為」として十項目を挙げているが、その末尾に「儀式を行うこと」という一項はあるものの、宮中祭儀はこの儀式の中にも入れられていない。賢所をはじめ宮中三殿の祭祀に奉仕する掌典職(宮中の神官)は国家公務員にもなっていない。  「大嘗祭は国事として行われるべきだ」との見解を表明している学者も少なくないが、それは皇太子殿下のご成婚の「賢所大前の儀」が国事として行われたことが有力な前例と為し得る筈だからである。 昭和五十四年四月十七日の衆議院内閣委員会において、上田卓三委員(社会党)の質問に答えた政府側委員真田法制局長官は、   従来の大嘗祭の儀式の中身を見ますと、どうも神式でおやりになっているようなので、  それは憲法二十条第三項の規定がございますので、そういう神式のもとにおいて国が  大嘗祭の儀式を行うことは許されないというふうに考えております。 と言い、さらに昭和五十九年四月五日の内閣委員会においても、柴田睦夫委員(共産党)が前の真田法制局長官の言葉をあげて、法制局は今でもこの見解に変わりはないのか、と質したのにたいして、前田正道政府委員(内閣法制局第一部長)は、   ただいまお尋ねの大嘗祭は、従来皇位の継承がございましたときにそれに伴って行わ  れてました神式の儀式であるように承知しておりますけれども、そのような儀式でご  ざいますれば、これを国事行為として行うことは許されないのではないかというふう  に考えております。    もっともそのような儀式が、国事行為としてではございませんで、皇室の行事とし  て行われるというのでございますれば、そのことにつきましては特に憲法上の問題は  生じないというふうに考えております。 と答えている。  ここに「皇室の行事」という言葉で表現している内容がどのような形式のものか不明であるが、少なくとも国事としては行い難いという方針を表明したものと受け取られる。  しかし、このような法律論議以前に、宮中祭儀は天皇が、天皇であるがゆえに、天皇として行われるものであり、その伝統は厳格に継承せられるべきもので、その精神や形式がそのときそのときの政治情勢や意見によって動揺するような性質のものではない。それ故、葦津珍彦氏は、明治憲法・皇室典範の起案者である井上毅が国家権力の及ぶ国務と国家権力の及ばない宮務とに分けて、国務のことは憲法に宮務のことは皇室典範に規定し、神事礼典のことは国家権力の及ばない宮務に属することとした理論を援用されて、皇室の祭儀礼典は国務上の国事ではなく、宮務上の重儀であるとする説を発表された(『中外日報』昭和五十九年二月十日)。  葦津氏の理論によると宮中祭儀は世俗的国務圏外のもので、国家権力などの国務より遥かに高貴にして神聖な天下の重儀である。国務の干渉を許さない宮務である、というのである。日本国憲法には、天皇の行われる国事行為について、第三条に、   天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責  任を負ふ とあり、第七条には   天皇は、内閣の助言と承認とにより、国民のために、左の国事を行ふ とあって、十項目を挙げているのであった。憲法学者の大石義雄博士も、皇室祭儀が国事だとすると、内閣の助言と承認を必要とすることになる。内閣といってもその実は謀略と権謀の渦巻く俗界であって、この俗界の政治権力が皇室祭儀のような神聖な領域に介入出来るとなると、もはや日本に聖域はなくなる、として葦津理論に賛意を表された(『神社新報』昭和五十九年九月三日)。すなわち皇室祭儀は天皇の行われる祭儀礼典であるが、天皇はいつでもどこでも公的な存在であり、私事は存在しない。憲法上の国事行為ではないが、天皇のご意志によって行われる宮務上の重儀である、というのである。この理論によると、大嘗祭は日本民族の精神的基礎にかかわるもので、国の大典であるべきであるが、世俗権力である内閣の助言と承認を必要とするような「国事」たる以上に遥かに高貴にして神聖な天下の重儀として行われるべきものと考えられる。  内廷の重儀であるというのは、世俗権力の干渉を許さない神聖な宮務上の重儀であるという意味であって、そのために「内廷の私事」として、矮小化することは許されない。  筆者は、新天皇の「即位の礼」は、大嘗祭を含めに、明治四十二年の『登極令』に基づき、大正・昭和の天皇が行われたと同様のことを行われるのがもっとも正しいと考える。しかも、それは旧『皇室典範』の規定に準じて、京都において行うのが、伝統的な在り方である。ただし諸般の事情、多数にのぼる外国元首の参列、警備上の問題、式場の施設等を考慮すると京都では行い難いのであれば、紫宸殿の儀は、新宮殿を用いることもやむお得ないが、せめて大嘗祭だけは、京都御所に、悠紀・主基両殿を設けて、十一月二十三日の夜、古儀のままに秘めやかに行われることが望ましい。十一月二十三日というのは、その日が、新嘗祭の日であり、大嘗祭は新天皇の初の新嘗祭にほかならないからである。                                             (皇學館大學教授・八坂神社権宮司 真弓常忠) t88が99¥い ... Read More | Share it now!

即位式と大嘗祭(1)

大行天皇の崩御により、皇太子明仁親王殿下は即日「剣璽等承継の儀」を経て、事実上の皇位を継承されて、第百二十五代の天皇となられた。しかし、即位の儀がこれにて終わったのではない。現行の『皇室典範』第二十四条には「皇位の継承があったときは即位の礼を行う」とあるが、その内容については、細かい規定はないものの、明治憲法下の旧『皇室典範』には、第十一条に「即位ノ礼及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ」とあり、さらに『登極令』には詳細な式次第が規定されていて、大正・昭和の即位の大礼はそれにしたがって行われた。それは皇室の伝統的な様式に基づいて近代国家として相応したいように整えられたものであるから、現行の憲法下にあっても、この前例を踏襲することを原則とすることが望ましい。もちろん古儀では、崩御による継承よりも、譲位によることが多く、その場愛、大嘗祭は即位が七月以前であればその年、八月以後ならば翌年の十一月下卯(卯日三回のときは中卯日)に行われた。これを『登極令』では、   即位ノ礼及大嘗祭ハ秋冬ノ間ニ於テ之ヲ行フ   大嘗祭ハ即位ノ訖リタル後続テ之ヲ行フ とあり、別表の如く、一連の行事として行われた。  現行『皇室典範』にうたう、「即位の礼」とは、この全行事を一括して称しているものと解するのが至当であると考える。  なぜならば、日本国憲法制定当時、即位式と大嘗祭との区別する認識はなかったし、事実、この一連の儀式の中で、即位式と大嘗祭とを区別することは、困難であることは一見してわかる。当時、とりあえず、踐祚の式も含めて「即位の礼」として、規定されたものであった。今日、踐祚の概念はないとして、既に行われた「剣璽等承継の儀」をもって「即位」としているが、これは、歴史的には桓武天皇の天応元年(七八一)以来、即位式とは別に行われた「踐祚」の儀で、「剣璽渡御ノ儀」と称してきたものである。その点「踐祚」の呼称が消えたことは甚だ遺憾であるが、さらに、「即位の礼」の中、大嘗祭をどうするか、この点が、大いに注目されるところである。  巷間、大嘗祭は宗教的意義を有するところから、政教分離を原則とする日本国憲法の下では、問題があるとして、これを「内廷の私事」とする意見がある。  政教分離の規定は、憲法第二十条に、   信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を  受け、又は政治上の権力を行使してはならない。   ②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。   ③国及びその機関は、宗教教育その他のいかなる宗教的活動もしてはならない。 とあるもので、大嘗祭は神道儀礼であるからこの条文(とくに第三項)に抵触するおそれがあるとする。  なるほど、大嘗祭は、いわゆる神式儀礼といわれているが、この大嘗祭をはじめとする宮中祭儀は、わが国の民族信仰に基づく民族儀礼であって、日本国家の成立とともに国家儀礼ともなってきたものであり、神道という名の生じるより遥か以前から行われてきた儀礼である。それは宗教的起源を有し、宗教的要素を持つことは否めないが、日本の歴史の中では民族慣行ともなっている儀礼であった。神宮や神社の祭祀、神道行事はそれに倣って祭式を制度化したものであるが、宮中祭儀が一般神社の祭式によって行われているのではない。したがって宮中祭儀は日本国家、日本民族の礼典の基本であって、ことに大嘗祭のごときは日本国家と国民の統合の象徴である天皇の、真に天皇としての御資格に関わる儀礼であるから、当然国の大典として行われるものと期待するのは一般国民の素朴な考えである。政教分離の原則は尊重するとしても、大嘗祭を始のごときは、特定の宗教教団と関わりない民族儀礼であり、国家儀礼であって、それは国の本質に関わる儀礼である点で、憲法に定める天皇の国事行為として、些かも差支えないものと考える。  イギリス国王の戴冠式はウェストミンスター寺院における宗教儀礼であるが、決して国王個人の私的行為ではなく完全に国家的行事であり、その式には政府の役人も国会議員も、又諸外国の代表も参列して行われる。アメリカ大統領の就任式も聖書とキリスト教の名において行われる宣誓が中心をなしていて、神の祝福と神の助けを願いつつ、神のみ業の実現を誓って行われるが、アメリカ国民はこれを政教分離に違反しているとは考えていない。 ... Read More | Share it now!

即位式と大嘗祭

即位の礼はどうなるのか? 昭和天皇の崩御により、「剣璽等承継の儀」を経て、事実上の皇位の継承が為されて、新天皇明仁陛下は即位された。しかし、即位の儀式がこれにて終わったのではない。一年間の諒闇が明けた後、新天皇の「即位の礼」が斎行される筈である。現行の『皇室典範』第二十四条には「皇位の継承があったときは即位の礼を行う」とあるが、その内容については、細かい規定はないものの、明治憲法下の旧『皇室典範』には、第十一条に「即位ノ礼及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ」とあり、さらに『登極令』には詳細な式次第が規定されていて、大正・昭和の即位の大礼はそれにしたがって行われた。それは皇室の伝統的な様式に基づいて近代国家としてふさわしく整えられたものであるから現行の憲法下にあってもこの前例を踏襲することを原則とすることが望ましいと考える。  しかしこの「即位の礼]中、大嘗祭は宗教的意義を有するところから、政教分離を原則とする日本国憲法の下では問題があるとして、これを「国事行為」とすることはできないとする意見がある。憲法第二十条にうたう政教分離の原則に抵触するというものである。 大嘗祭は、いわゆる神式儀礼とみられているが、この大嘗祭をはじめとする宮中祭儀は、わが国の民族信仰に基づく民族儀礼であって、日本国家の成立とともに国家儀礼ともなってきたものであり、神道という名の生じるより遥か以前から行われてきた儀礼である。それは宗教的起源を有し、宗教的要素を持つことは否めないとしても、日本の歴史の中では民族慣行ともなっている儀礼であった。したがって宮中祭儀は日本国家、日本民族の礼典の基本であって、ことに大嘗祭のごときは日本国家と国民の統合の象徴である天皇の、真に天皇としての御資格に関わる儀礼であるから、当然国の大典として行われるものと期待するのは一般国民の素朴な考えである。政教分離の原則は尊重するとしても、特定の宗教教団と関わりない民族儀礼であり、国家儀礼であって、憲法に定める天皇の国事行為として、些かも差支えないものと考える。  イギリス国王の戴冠式はウェストミンスター寺院における宗教儀礼であるが、決して国王個人の私的行為ではなく完全に国家的行事であり、その式には政府の役人も国会議員も、又諸外国の代表も参列して行われる。アメリカ大統領の就任式も聖書とキリスト教の名において行われる宣誓が中心をなしていて、神の祝福と神の助けを願いつつ、神のみ業の実現を誓って行われるが、アメリカ国民はこれを政教分離に違反しているとは考えていない。 ... Read More | Share it now!

大嘗祭と伊勢の遷宮

大嘗祭は、御一代初の新嘗祭であり、天皇が初めて新穀をきこし召すことにより、皇祖天照大神の霊威を体されて、大神と御一体となられる儀であり、これに対して神宮の遷宮は、二十年に一度殿舎のお建替えをして皇祖の大神の新たな御神威の甦りを仰ぐ儀であるという。 大嘗祭においては、皇孫命、すなわち天皇は、ニニギノミコトという名に象徴される稲穂のにぎにぎしく稔った姿を体現される存在となられる。その稲は、皇祖天照大神より授けられた「齋庭の穂」である。それには皇祖=日神の霊威がこもっている。これをきこしめすことは、皇祖の霊威を身に体し、大御神とご一体になられることである。そういう意義をもっておこなわれるのが大嘗祭であり、それを年々くり返して霊威の更新をはかられるのが新嘗祭である。 大嘗祭・新嘗祭は陰暦十一月中卯日に行われた。十一月中卯日といえば冬至の日の前後にあたる。太古においてはおそらく冬至の日であったろう。その日の亥刻(午後十時)はもっとも太陽の衰えた時刻である。その陽の極まった果てに、天皇は悠紀殿(新嘗祭では神嘉殿)に忌み籠って、夕御饌をきこしめして日神の霊威を身に体され、子刻(十二時)には一たん退出されるが、暁の寅刻(午前四時)再び主基殿(神嘉殿)に御されて、朝御饌をきこしめして、一陽来復、復活した太陽=日神とともに、天皇としての霊性を完成、または更新されて、若々しい「日の御子」「日継の御子」として、この現世に顕現されるものと解される。 新嘗祭が十一月であったのに対して、伊勢の神宮の神嘗祭は現行は十月十六、七日であるが、古儀では九月であった。これは令制以後の姿で、より古くはどうであったか。おそらく両者一体の形で行われていたに違いない。 天孫降臨神話が大嘗祭の投影であるとは、すでに大方に認められた説だが、天孫降臨神話の諸異伝のうち、タカミムスビノミコト(高木神)のミコトモチにより天照大神が皇孫ニニギノミコトに「斎庭の穂」をコトヨサシになったという所伝(『古事記』・『日本書紀』の第二の一書)は少なくとも神嘗祭と新嘗祭が一体の祭儀であったことを示すものである。 『古事記』によると、天照大神はアメノオシホミミノミコトという穀霊の母神であった。高木神(タカミムスビノミコト)のミコトモチにより、アメノオシホミミノミコトに降臨を司令されたが、その装束をしている間にニニギノミコトの出誕があって、降臨するのはこの新生の穀童である。その母神は高木神の女、ヨロヅハタトヨアキツシヒメ(タクハタチヂヒメ)とする。内宮御正宮の相殿の神である。新生の穀童ニニギノミコトは豊葦原の瑞穂国の象徴である。天つ神のミコトモチによって、「齋庭の穂」のコトヨサシをうけた「日の御子」「日継の御子」である。祖神は日神であり、ヒルメノミコトとも呼び、天に照り輝くばかり神々しい神を意味する天照大神の御名をもってたたえられた。 天孫降臨とは、年々歳々冬至の日に、「日の御子」の出誕を実修したニイナメ儀礼の投影であり、ニニギノミコトとは瑞穂国の稔りを実現すべく、天上の稲をもって天降られたお方であり、ニイナメの実修を通して、新たな日神を迎え、日神の霊威を体して、瑞穂国の稔りをもたらされる存在であった。それゆえ、新嘗祭はニニギノミコトたる天皇の霊威の更新であるが、その霊威の根源は日神で、日神の神威もまた更新がなされていなければならなかった。 神宮では神嘗祭と六月・十二月の月次祭を三節祭または三時祭といい、その前夜亥刻(午後十時)と丑刻(午前二時)に由貴大御饌を献る。由貴大御饌は、夕御饌は大嘗祭・新嘗祭と同じく亥刻であるが、朝御饌は一刻早い丑刻であるのは、天皇が稲魂を体して霊性を完成し、若々しい「日の御子」ニニギノミコト=皇孫として、太陽の復活とともにこの現世に顕現されるに先立って、その霊威の根源である日神、天照大神の神威もまた更新が為されていなければならなかったからであると考えられる。 神宮の式年遷宮の制は、天武天皇の思召しによって、二十年を以て式年と定められ、第一回の遷宮は、内宮が持統天皇四年(六九〇)、外宮が同六年に斎行せられて以来、中世戦国の世、百二十数年毎に亙って中絶したほかは二十年一度の式年は確実に守られて実施されてきたが、何故二十年を以て式年と定められたかは、種々説はあるがその理由はわからないというのが本当であろう。しかし、この式年が定められる以前はどうなっていたか。私見は、もとは御代がわりに際しておこなわれる大神嘗祭であったのではないかと思っている。それは、神嘗祭と新嘗祭が一連の祭儀としておこなわれていたとするなら、御一代初の新嘗祭を大嘗祭として一段と厳重におこなわれたように、神嘗祭も御代がわりの初めには一段と盛大におこなわれた筈であると考えるからである。 持統天皇は四年正月ご即位になり、その年の秋に内宮の第一回の遷宮が行われ、翌五年十一月辛卯日(二十四日、それはまさに冬至の日であった)大嘗祭がおこなわれ、さらにその翌年の六年に外宮の遷宮がおこなわれた。これは偶然ではなく、むしろそれが本来の姿ではなかったかと思っている。 少なくとも、新嘗祭が天皇の霊威の更新、神嘗祭は皇祖の大御神の神威の更新であり、大嘗祭が、御即位初の新嘗祭で、天皇がはじめて皇祖の大御神と御一体となられる御儀であるからには、その御霊威の根源である皇祖の大御神の御神威も、一段と厳粛にそのよみがえりを仰ぐべきものとされたに違いない。ただし、殿舎の建替えをはじめ、御装束・神宝のことごとくの作り替えを行うためには一定の年数を定めることが必要なために、二十年をもって式年と定められたのではないか。これはわたしの想像であるが、決して根拠のないものではない。 天武天皇の思召しによって定められた二十年一度の式年遷宮の制であるが、天武天皇の即位は六一三年、そして第一回の遷宮が持統天皇四年(六九〇)であるから、その間は十七年である。それ以前は、二十年という式年が定められていなかったということは、御代がわりに際しておこなわれた大神嘗祭とみられるのである。 してみると神宮の遷宮は、二十年一度の大神嘗祭であり、大神嘗祭はまさに皇祖の大御神の神威の新たな甦りを仰ぐ最大最重の厳儀である。それは、宮中における大嘗祭とに相対応する大儀であるといえる。 かくして大嘗祭は、『延喜式』に唯一の大祀とされ、御一代最大最重の大儀であるとともに、神宮の遷宮もまた「皇家第一の重事」として斎行されてきた。ともにもっとも古い伝統を保持しながら、しかももっとも清新な生命の再生をはかるものとして繰り返されてきた民族のいとなみである。 日本の社会のあらゆるものが変化し、文明がますます進歩して、世の中がどのように様がわりしようとも、天皇の行われる大嘗祭と神宮の遷宮だけは、太古さながらに始源の状態を維持しつつ、祖型を反復して、原古の様式を伝えて行くことが、日本の生命を護るととにほかならない。同時にそれは人間の生命のもっとも根源的な部分に対する反省を以て、今日の世界が文明によって喪失しようとしているものを取り戻すもっとも象徴的な儀礼として、未来に向かって示唆するところ多大なものがある。他のいかなるものが失われようとも、この大嘗祭と神宮の遷宮だけは、失われてはならないぎりぎりの日本のいのちであることを思うのである。 真弓常忠... Read More | Share it now!