『大嘗祭の世界』はしがき

学生社『大嘗祭の世界』 はしがき

 祭祀ー神々の祭りは、世界のいずれの民族、いずれの国家にあっても、文化の核を形成するものであった。それは元来、生産生活と密接にかかわり、生産生活の理想を集約した形で、集団の祈りを反映している。そこには民族の固有の世界観が生きており原初の時を維持している。もともと祭祀は始源の状態を繰り返し、祖型を反復するところに特質があるからである。したがって、小は邑落から大は国家なり民族なりの共同体が祭祀の伝統を維持継承することによって、それらの社会は父祖のいのちを自己のものとして、その理想を継承することになる。

事実、日本の祭祀は、極めて多彩な展開を遂げている反面、太古も現代も一貫して同じ祭りを繰り返しており、しかもこの列島のはしからはしまで驚くべき同一性を以て伝統を維持している。しかもそれは村々里々の民間土俗の神祭りも、天皇の行われる宮中や神宮の祭祀も、みなおなじ意義と目的を持つ民族の営みであった。

 

祭りは社会的統合の力と機能を持っている。人々は個人や家の宗教に拘わらず、村なり町なりの祭りにはこぞって参加し、祈りを込めて協力遂行することにより、共同体の統合を果たしてきた。そしてその祭りが神宮や宮中の祭祀につながっていることも見逃せない事実である。わたしはそのことを実証しつつ、こうした祭りの古儀を探り、本義を求めてきた。そして、行き着いたのは宮中の新嘗祭や神宮の神嘗祭であり、さらにご一代初の大嘗祭、二十年一度の遷宮であった。

わたしは古代の祭祀を研究することによって、われわれの父祖の精神生活がいかに深い祈りに発しているかを知り、その集約的表現である大嘗祭に至って、そこに日本文化の核を見いだした想いである。それは極めて古い時代よりの天皇の即位儀礼でもあった。その祭儀に秘められた文化伝統はまさに現代の合理主義社会の中で忘れ去られ失われようとしている父祖伝来の一切の道徳の根源であることを想うのである。

 

そうしたことに想いいたって、日本古代祭祀の研究の中から、大嘗祭の本質を窺うことのできるものを選んで補訂の上、再構成を試みた。本書の内容は、したがって既に発表した論考をも含んでいるが、ここでは主として祭祀の古態を探り古義を明らかにすることを主眼として、大嘗祭の世界を描き、その本質に迫ったつもりである。しかし、今日的課題、例えば大嘗祭と憲法、その他、政教問題に関する論考は省いた。それらの問題についての私見は別の拙著『大嘗祭』(国書刊行会、昭和六十三年発行)『現代社会と神社』(皇學館大學出版部、平成元年三月発行)等に記している。また大嘗祭の総合的な研究は皇學館大學神道研究所の編纂にかかる『大嘗祭の研究』(同上、昭和五十三年発行)『続 大嘗祭の研究』(同上、平成元年三月発行)がある。ともに学術的研究として高く評価されている。

 

本書の稿、ほぼ成った時点で、昭和の天皇の崩御、新天皇の御即位、「平成」と改元という歴史的な出来事を迎えた。本書が世に出る頃には大嘗祭の問題が政治問題化しているかも知れない。しかしわたしは、大嘗祭について、いたずらに論うことは、神聖なるべき大嘗祭の本旨を冒涜することになりはしないかと怖れるのである。

 

大嘗祭は、あくまでも天皇が天皇なるが故に天皇として行われる伝統の御儀である、それがその時その時の政治情勢や俗論によって左右されるべきものでも、政府や国会の容喙、干渉すべきものでもない。

 

平成の御代の大嘗祭も、いずれは古来の伝統のままに、厳粛に立派に斎行されることであろう。そのことを期待し、日本文化のアイデンティティがまもられ、承け継がれていくことを心から祈るばかりである。

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