ニヒナヘ

新嘗祭は、現在は宮中ならびに全国の神社では十一月二十三日におこなわれるが、宮中新嘗祭は、もとは陰暦十一月中卯日であった。 この日は冬至の前後にあたり、 元来は冬至の日であったろう。 一年のうちでもっとも昼の短いこの日、忌み篭った果てに新穀を 神に献るとともに、みずからもいただいて生命の難りをはかったのである。

ニイナメは「新嘗」「初嘗」等と表記し、ニヒナへ、ニハナヒなどと訓むが、その語義について本居宣長が「古事記伝』に、ニヒナへは「新之饗」の約で、「新稲を以て饗する」ことが=へであ り、そのニへという語は「新饗」の約言であると説いた説が一般におこなわれている。

しかし西宮一民氏は国語学の上から、ニヒナへが「新之饗」でニへに等しく、ニへは 「新饗」であるとすれば「之」の有無でニヒナへとニへの二つの語形が生じたことになり、またニヒアへの約はニハへとなるべきで、ニハへが=へとなることはあり得ないという点を挙げて、次のような新説を掲 げられている。

新粟の初嘗(わせのにひなへ「常陸風土記」筑波郡)

「早稲を示倍す (わせをにへす「万葉集」三三八六)

のニヒナへ・ニへは同じ意に用いられていて、ヨハナヒ、ヨハナヘ、ニハヒ・ニヒナへミのニハ、 ニヒ· ニフも同義と考えられ、この語は

ニハ……彼覆形 (ニヒ· ニフはその音変化)

ニヘ……露出形

と説明することができ、「賛」の意味が認められる。

これに、アキナフ·オコナフ·ウベナフ·ツ ミナフなどナフという派生語尾がついて=ハナヒ·ニヒナへの語が生じた。

その場合四段 (ハナヒ) と下二段(ニヒナヘ)とができて、四段の場合は「神や天皇に供薦する」の意、下二段の場合は「神や天皇がその供薦をうける」という意の区別ができたというものである。

ニハナヒ・ニヒナへは古来の日本語で、これに 「嘗」の字をあてたのは、中国では稲の祭りのことを「嘗祭」といい季秋におこなわれたことによる。

わが国では仲冬の祭りであるが、稲の祭りであるから、日本語のニへを表わすためにこの字を借りたものである。

したがって「嘗」を「なめる」意にとって、ニヒナメと訓むのは誤りということになるが、「新穀を嘗める」とい った解釈による語形とも見られる。 その場合は「嘗める」は「試みる」という意をもつものと考えられる。

しかし本来はニハナヒ・ニヒナへの語を表わす漢字は「嘗」一字で十分であった筈であるが 「新」または「初」を添加して、「新しいもの」「お初のもの」という印象を際立たせたのである ということである(「新嘗·大嘗、神営・相営の訓義」)。

ニヒナへ,ハナヒの儀礼は、朝死廷の重要な祭りであるとともに民間の古俗であった。それは 全国におこなわれた農耕の民の厳粛な祭りであった。

『万葉集』に

世 島鳥の葛飾早稲をニへ(賛)すともその愛しきを外に立てめやも(三三八六)

(葛飾早稲で新嘗の祭りをしているからといって、あの愛しい人を外に立てておけようか)

誰そこの屋の戸押ぶるニフナミにわが背を遣りて斎ふこの戸を(三四六○)

(誰ですか、 この家の戸をがたがた押すのは。新嘗の夜で、夫でさえも外に出して忌み寵っていますのに)

とあるのは、 いずれも収穫した稲でニヒナへ儀礼をおこなうために忌み 龍りをしていたことをうかがわせる。

「ニフナミ」は、「ニへ」の「モノイミ」の約である。この歌は東歌で、当時東国においてニヒナへの行事をおこなうのは女性であり、その夜は家人も外に出して忌み篭っていたのである。

2018年8月19日