村祭り

村の鎮守の 神様の

きょうはめでたいお祭り日

どんどんひゃららどんひやらら

どんどんひゃららどんひやらら

朝からきこえる 笛太鼓

年も豊年 満作で

村は総出の 大祭り

どんどんひゃららどんひやらら

どんどんひゃららどんひやらら

夜までにぎわう 宮の森

おさまるみ代に 神様の

めぐみあおぐや  村祭り

どんどんひゃららどんひやらら

どんどんひゃららどんひゃらら

きいても心が  いさみ立つ

文部省小学唱歌の「村祭り」は、 昭和六十一年度の検定教科書からははずされたものが多いと聞くが、 この歌詞にうたわれているイメージは、やはり懐かしいものとして、 そのメロディともに甦ってくる。 われわれの深層心理に、 村祭りの印象が忘れ難いひびきをのこしているからなのであろう。

それは、 現今は「〇〇まつり」と命名した観光ないし商売目当の神なき祭りが増えている。

これについ ても後で言及したいと思うが、祭りといえば、本来はこの歌詞にもあるように 「神のめぐみ」を 仰ぐものであった。豊穣、あるいは豊漁を祈り、またその収穫に感謝するという行事のくり返しの中で、人びとは生産生活の意義を確かめ、喜びをわかってきたのである。それはハレ(晴)の 日で、一年に一度、この日はご馳走をつくり、晴着を着て村の鎮守の氏神さまにおまい りに行く。

そこには露店が並び、御殿の奥では神職の進める祭典があり、さらに笛·太鼓にあわせて神楽が奏されている。

また神輿をかついだり、山車を曳いたり、あるいは相撲や綱引といった行事もある。

それらすべてを含めて、一口に「祭り」といっているが、注意してよく観ると、神職を中心に おこなわれる神に対する後礼 (ritual)、つまり祭儀とか祭典といわれる部分と、氏子等が参加し ておこなう、むしろ氏子の人びとが中心となっておこなう 風流に 相当する部分 とから なってい る。その全体を祭礼という。

フェスティバル (festival) といった方がいまの人びとにわかりやす いかも知れない。

祭りは社会生活に欠かすことのできないものとして関心をあつめている。伝統的な祭りを見物 するために遠路出かけていっては、ビデオカメラに収める人も少なくない。

新しい団地では祭り のないのが寂しいと貸みこしを借りてまで新しい祭りを起そうとしているところもある。

人びと はなぜ祭りに志向するのか。祭りにどんな意義があり、どんな機能をもっているのか。

日本の祭りにはどんなものがあり、どんな歴史があるのか。

社会の変貌のはげしい昨今であるだけに、い まこそ、われわれの父祖が多年にわたって受け継いできた祭りを見直し、その本質を探求することが必要だろう。

2018年8月19日