神田祭と山王祭

祇園祭と天神祭に江戸の神田祭を加えて、天下の三大祭と称することは知られ 神田祭と山王祭 ているが、江戸では「天下祭り」といえば、六月十五日の山王祭と九月十五日の神田祭(現在は五月十五日) であった。

神田明神は、 山王日枝神社とともに江戸城の鎮守、つまりり天下様の産土神であった。

両社は一年交代で江戸城入りをした。

近世の記録は、山王祭の方は 欠けているが、 神田祭は名主斎藤月琴の日記(天保初年~明治八年) があってその模様をうかがうことができる。

江戸城へ繰り込むときは「大江山凱陣」と書した大臓を先頭に、大江山の鬼の首 のつくり物や、鬼退治をした頼光や四天王の武者行列、牛若丸奥州下り、朝鮮使節来朝風景など の行列に、新しい付祭りと称する所作台の一団が操り込んで行った。

所作台では行列進行中に舞踊や芝居を務じ、城内の上覧台でも将軍や女中達に演じて見せた。

江戸では、 神田祭、山王祭のほか、天王祭、浅草三社祭、深川の富岡八幡例祭等、江戸 っ子と ちの熱狂する祭りが多い。そうした大江戸の祭りの伝統はいまも生きていて、祭りの日には揃い の印半綱に向鉢巻で、威勢よく神輿をかつぎに出かける。

近頃は女性の参加者も少なくなく、若いエネルギーを発散させている。

農村の祭りに限らず、大都市においても、否、大都市なるがゆ えにこそ、 ともすれば日常性の中に埋没してしまいがちな病理現象をふっ飛ばすエネルギーとし て燃えさかるのである。

祇園祭も天神祭も、また神田祭も御霊信仰に基づいている。

夏に多い疫病を退散さ せ る た め に、そうした災禍をもたらす霊魂を鎮めるためにおこなわれた。

たとえ怨みをのんで死んでいっ た人びとも、その御霊をまつることによって、幸いをもたらす神となると信ぜられた。御霊は人 びとの敬祭をうけることによって高められ清められると信ぜられたのである。

それとともに祇園祭の綜や、天神祭の鉾流神事にうかがわれるのは、茅の輪や人形を流す”お の行事との関係である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です